今日電車の中で本を読んでいると少年に
「なんの本を読んでるんですか?」
と声をかけられました。
少年曰く、入試面接のために本を読まねばならず、本を読んでいる人を見かけたらオススメの本を聞いているんだそうです。
私は「古典を読むと良いよ。「学問のすすめ」とか読みなよ。」と答えました。
少年は何度もお礼を言って次の駅で降りて行きましたが、少年が降りた後
はて、どうして古典を読むと良いんだったか、、、
と考え込んでしまいました。
古典を読むこと、そもそも本を読むとはどういうことだったか、自分なりの認識をまとめました。
■なぜ本を読むのか
私が本を読むのは2つの効能があると考えているからです。
1. 本を読むと世の中がよく見える
1-1. 知識の獲得
1-2. 多様な価値観・概念(ものの見方)の獲得
1-3.他者の経験の獲得
1-4.歴史の時間軸を持った視点の獲得
2. 本を読むと自分がよく見える
2-1.本は自分の内面を映す鏡
2-2.本が自分の思いを言葉にしてくれる
以上のことから、本を読むことで自分の人生をより味わうことが出来るのではないかと考えます。
そして、やはり読むなら古典がオススメです。
■なぜ古典を読むのか
・流行を超越している
・その時代の最高の知性によって書かれている
・歴史とつながっている
哲学者の適菜収氏も古典を読むことの大切さについて述べています。
古典を読もう 哲学者・適菜収
ドイツの哲学者ショウペンハウエル(1788~1860年)は、精神のための清涼剤として、ギリシャ、ローマの古典の読書にまさるものはないと言う。その理由として「古典語の完成度」と「いく千年の歳月にも傷つけられぬ作品を生み出した精神の偉大さ」の2つを挙げた(後略)
わが国にもすぐれた古典が山ほどある。『古事記』『日本書紀』といった史書、『万葉集』『古今和歌集』といった歌集、『土佐日記』『枕草子』『源氏物語』といった古典文学など枚挙に暇(いとま)がない。これらを読みこなすためには、優先順位をつけなければならない。情報過多の時代である。(後略)
そして、歴史の地層により濾過(ろか)され、磨きぬかれた古典を読む時間を強制的にでも作るべきだろう。そのためには読書時間の半分以上を古典にあてるのはどうか?
さらに、古典をすすめる素朴な理由があります。
古典は手にしやすい
古典は有名なものなら図書館に置いてある可能性が高いです。
また、著作権が切れているものは電子書籍で無料で読めることが多いです。
例えば少年にすすめた「学問のすすめ」も無料で読めます。
古典は解説書が充実している
これも私たちにとってはとてもありがたいことです。
「学問のすすめ」は明治に書かれた本です。
福沢諭吉は学生のためにわかりやすい言葉で書いたと言っていますが、それでも私たちにはとっつきにくい文体で書かれています。
「天 は 人 の 上 に 人 を 造ら ず 人 の 下 に 人 を 造ら ず」 と 言え り。 され ば 天 より 人 を 生ずる には、 万人 は 万人 みな 同じ 位 に し て、 生まれながら 貴賤 上下 の 差別 なく、 万物 の 霊 たる 身 と 心 との 働き を もっ て 天地 の 間 に ある よろず の 物 を 資 り・・・
福沢 諭吉. 学問のすすめ Kindle 版.
原文には手を出しにくいという場合、多くの古典は現代語訳、口語訳、最近は超訳なんていうのもあります。
「天 は 人 の 上 に 人 を 造ら ず 人 の 下 に 人 を 造ら ず」と言われている。
つまり、天が人を生み出すに当たっては、人は皆同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世のいろいろなものを利用し・・・斎藤孝訳 現代語訳 学問のすすめ (ちくま新書) Kindle版.
かなり読みやすくなっていると思います。
また、とっつきにくいを通り越して何を言っているのかさっぱりわからない古事記のような古典も、後世の偉人たちが研究成果を残してくれています。
古事記研究と言えば本居宣長の「古事記伝」ですが、これも江戸時代に書かれたものですから立派な古典です。
私たちが古事記伝を読むのは困難ですが、古事記伝の解説書や宣長に関する本を読むことで古事記の世界を、古事記に魅せられた宣長という人物とともに知ることができます。
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古事記伝を丁寧に解説しています。
宣長の解釈への批判もありますが、全編を通して著者の宣長への敬意が伝わって来ます。
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古事記と宣長と小林が代わる代わる語りかけてくる濃いい本です。
(古事記に関する記述は主に下巻)
古典とは化石ではありません。
厖大な時間を経てなお活き活きと生き続ける歴史の証人なんです。
そんな本があるんだから、読まないともったいないですよね。
それでは今日はこのへんで