さよならの朝に約束の花をかざろう。

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さよ朝見てきましたよ。

この物語のすごいところはですね、基本なんにも解決しないんですよ。

愛と勇気のスパーパワーで状況が劇的に良くなるとか、逆にお涙頂戴のために唐突に誰かが死ぬとか、そういうのは全然なくて、ただひたすらに運命の車輪がゴリゴリ回り続ける。そんな感じなんです。

で、結局誰も助かってないし国も故郷も運命に粉砕されたし愛する人ともさよならだしで後には結果というか、履歴しか残らないわけなんです。

それって虚しいよねとか、いやいやそこには確かに喜びが有ったよねとかいろいろと考えてしまうんですが、主人公のマキアは

『愛して、よかった。』

というんです。

 

映画を観終わった後、しばらく頭がぼーっとして

え、、、これ、、ただただ悲しいだけでは、、、え、辛、意味、、、生きる意味とは、、、

ってなってたんですが、家に帰ってしばらくぼーっとしていると、だんだん気持ちが整理されてきました。

 

つまり、人生に利益なんてない。むしろ赤字なわけです。

借りて借りて、借りまくって、返せるのはほんの一部だけ。

多くの借りは踏み倒して死んでいくんです。

それじゃあ私たちは繁殖することにしか意義を見出せない哀れなプロレタリアなのかと。

そうじゃないぞと。

その貸し借りから愛が生まれる。貸し借りそのものが愛といっても良いと思うんです。

これは個人間だけの話ではなくマクロな話でも同じです。

そこで生まれ育ってきた。そのことに借りを感じるから愛国心、愛郷心が芽生えるのではないでしょうか。

ここでの『借り』は罪悪感や後ろめたさでしょうか。そんなことはないですよね。

家族や共同体への借りは喜びを伴うはずです。

お金の話で恐縮ですが、私は大学で奨学金を借りていました。

借金を背負うプレッシャーはありましたが、それ以上に私は嬉しかった。

将来どうなるか全く未知の学生に数百万ものお金を貸してくれるということが本当に有り難かった。

私を産み育ててくれた両親への感謝は言わずもがなです。

明日、運命が全てを飲み込んでも、その事実は消えないわけです。

だから、ただ生まれて、生きて、たくさんのさよならを経て死んでいく宿命でも、それでも生きる甲斐を見つけられるんです。

 

とことで本作品の主人公はイヨルフという種族で、何百年も生きるんです。

長く生きて、たくさんのさよならを重ねるのはしんどいし戦争やらなんやらで疲れちゃうけどそれでも人を愛しますかという話なんですが、これは全然人ごとじゃないわけです。

今のペースで長寿化が進めば90年、100年生きるのが当たり前になってくる。

一方で世界は技術革新と戦後秩序の崩壊で激動の時代を迎えようとしています。

長く慌ただしい人生をどう生きるか。

そのヒントも、この作品にはある気がします。

 

 

ストーリーについて感じたことを書きましたが、この作品は絵も綺麗だし、長老のスリットめっちゃ深いし酒場で変な楽器弾いてるしでいろいろ見どころあると思います。

みなさまぜひ劇場でご覧になってみてください。

 

公式HP
http://sayoasa.jp

岡田麿里監督代表作

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