古事記という書物

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古事記という書物があります。

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古事記は現存する日本最古の歴史書と言われています。

天武天皇の命により、太安万侶によって編纂され、和銅5年(712年)に完成したと古事記の序に書かれています。

今から1300年前の書物です。

さて、この古事記とても変わった本なんです。

何が変わっているかというと、

この本は日本語で書かれているんです。

そんなの当たり前でショ、と思うかもしれませんが、当時はそんな本はありませんでした。

なぜなら、当時の日本には、文字は漢字しかなかったからです。

ひらがなもカタカナもまだ有りませんでした。

当時の文書はすべて漢文です。日本書紀も漢文です。

これは古事記が書かれた飛鳥時代だけの話ではありません。

江戸時代まで、「きちっとした文章は漢文で書く」というのが常識でした。

ひらがなで書かれたものは「女手」と言われ、女子供の文とみなされていました。

男がひらがなをつかうのは歌を詠む時だけでした。

明治以降も、法律など文章は漢文を書き下したような、カタカナまじりの漢文調で書かれていました。

つい戦前まで、漢文はフォーマルな文書様式として使用されてきました。

しかし、日本最古の歴史書である古事記は漢文でも漢文調でもなく日本語で書かれているんです。

これは、今で言ったら昭和天皇実録をラノベ調で書くくらいの大冒険です。

しかもひらがな無いんです。漢字しか無いんです。

どうです?古事記の”ヘン”さ、伝わりました?

■どうやって日本語で書いたのか

漢字の当て字で書きました。つまり”夜露死苦”です。

当然めちゃくちゃ読みにくいです。後世の人は古事記が読めず、日本書紀が正当な歴史書として扱われてきた影で古事記は忘れ去られていました。

それを読めるようにしたのが本居宣長の「古事記伝」です。

神野志隆光 本居宣長『古事記伝』を読む
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■なぜ日本語で書いたのか

(1)口伝を書き起こしたから

古事記は稗田阿礼が暗記した勅語(天皇の言葉)を太安万侶が書き起こしたとされています。

宣長によると、神武天皇が漢文で書かれていたであろう帝紀、本辞(古事記の元ネタとされる歴史書。現存していない)を日本語訳しながら阿礼に読み聞かせ、阿礼はそれを総て暗記したと言います。

そしてそれを安万侶が書き起こすわけですが、漢文で書いてしまってはもとの帝紀、本辞に戻ってしまい、神武天皇が日本語に読み下した意味がなくなってしまいます。

なぜ神武天皇は日本語に読み下したのか。

(2)中国の思想の影響を排除したかった

古事記の序によると、神武天皇が古事記編纂を命じた動機は

「わたし が 聞い て いる こと は、 諸家 で 持ち 傳え て いる 帝紀 と 本 辭 とが、 既に 眞 實 と 違い 多く の 僞 り を 加え て いる という こと だ。 今 の 時代 において その 間違い を 正さ なかつ たら、 幾年 も たた ない うち に、 その 本旨 が 無くなる だろ う。 これ は 國 家 組織 の 要素 で あり、 天皇 の 指導 の 基本 で ある。 そこで 帝紀 を 記し 定め、 本 辭 を しらべ て 後世 に 傳えよ う と 思う」

古事記 03 現代語訳 古事記 より

この言葉は一般的に、天皇が日本(大和)を治めるために、天皇の都合の良い歴史を取捨選択したと解釈されますが、宣長に言わせるとそうでは無いそうです。

「阿礼 に 命じ て 口 に 誦 み うかべ させ た のは、 文字 に 書く こと は ことば に いう よう には でき ない という 一般的 な こと に とどまら ず、 この 時代、 漢文 で かき なれ て い た から「 古語」 を 書く こと は なお 難しかっ た ので、 まず、 口 に よく 読み 習わ せ た 後 に、 その ことば の まま に 書き記さ せよ う という のが 天皇 の 意思 で あっ た で あろ う」

神野志隆光. 本居宣長『古事記伝』を読む 全4冊合本版 (Kindle の位置No.208-211). . Kindle 版.

当時すでに漢文に慣れてしまい、日本の古い言葉が廃れてきているという問題意識が神武天皇にはあったと宣長が考えています。

漢文とは中国語ですから、漢文で書けば無意識のうちに中国の思想が入ってきてしまいます。

宣長が指摘した典型的な例はもう一つの歴史書、日本書紀の冒頭です。

日本書紀の神代の記述では、宇宙がまず陰と陽に分かれたとか、男神イザナギを陽神、女神イザナギを陰神と書く等、陰陽五行の影響が観られます。

陰陽五行は中国の思想=漢意(からごころ)であり、日本の神話にはふさわしく無いと宣長は指摘します。

抑 天照大御神 は、 日 神 に 坐 まし て 女神、 月夜見 命 は、 月 神 に し て 男神 に 坐 ます、 是 を以て、 陰陽 といふ こと の、 まこと の 理 に かな はず、 古伝 に 背ける こと を さとる べし

神野志隆光. 本居宣長『古事記伝』を読む 全4冊合本版 (Kindle の位置No.2511-2512). . Kindle 版.

古事記の序にある神武天皇の「諸家 で 持ち 傳え て いる 帝紀 と 本 辭 とが、 既に 眞 實 と 違い 多く の 僞 り を 加え て いる という こと だ。」という言葉は、漢文で書き、伝えられるうちに漢意(からごころ)の影響で変質してしまっていると解釈することもできるということです。

そして、「今 の 時代 において その 間違い を 正」すために、神武天皇は阿礼に歴史の本来の意味を日本語で読み下したのです。

”言葉の乱れ”というのはいつの時代も問題になりますが、古事記が書かれた時代は聖徳太子以降、中国の文化が怒涛のごとく押し寄せる”グローバル化”の時代でした。

人々はいち早く中国の文化を取り入れ、漢文で書き、漢文で思考し、話し言葉も漢文調(2字、4字熟語を多用など)になっていたでしょう。

今でいうと、横文字をやたらと使うルー語みたいなものですかね。

日本史の教科書が横文字だらけだったら不安になりますよね。

神武天皇にもそんな不安があったのでは無いでしょうか。

宣長は古語(ふるごと)を求めて古事記研究に没頭しました。

そして、古事記を完成させた後こう歌を詠んでいます。

ふるごとの ふみをらよめば いにしえの 
てぶりこととい ききみるごとし

(古事記を読めば昔の仕草や口ぶりが見え、聞こえるようだ)

昔からの日本語が生きている。それが古事記の最大の魅力ではないでしょうか。

それでは今日はこの辺で

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