今日紹介するのは一万円札でおなじみの福沢諭吉の代表作『学問のすゝめ』です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
は有名ですが、本を読まれた人は少ないんじゃないでしょうか。
そのためか、上記の有名な一文も誤解されていることが多いようです。
そんな当たり前のこと言われても、、、
平等なんて綺麗ごと
いやいや、樋口の下には野口がいるし、上にはアンタがいるじゃんwwww
などなど。。。
しかしこの一文で福沢が言いたかったのは、人類皆平等という理想論ではないんです。
■福沢の平等論
この一文には続きがあります。
「天 は 人 の 上 に 人 を 造ら ず 人 の 下 に 人 を 造ら ず」 と 言え り。 され ば 天 より 人 を 生ずる には、 万人 は 万人 みな 同じ 位 に し て、 生まれながら 貴賤 上下 の 差別 なく、 万物 の 霊 たる 身 と 心 との 働き を もっ て 天地 の 間 に ある よろず の 物 を 資 り、 もっ て 衣食住 の 用 を 達し、 自由自在、 互いに 人 の 妨げ を なさ ず し て おのおの 安楽 に この世 を 渡ら しめ 給う の 趣意 なり。
福沢 諭吉. 学問のすすめ (Kindle の位置No.34-37). . Kindle 版.
ここまでは「生まれながら 貴賤 上下 の 差別 なく」など、平等について説明しています。
もう少し読んでみましょう。
さ れ ども 今、 広く この 人間 世界 を 見渡す に、 かしこき 人 あり、 おろか なる 人 あり、 貧しき も あり、 富める も あり、 貴人 も あり、 下人 も あり て、 その 有様 雲 と 泥 との 相違 ある に 似 たる は なんぞ や。
福沢 諭吉. 学問のすすめ (Kindle の位置No.37-39). . Kindle 版.
福沢は理想論を述べていたわけではなく、実際の人々の間には、様々なちがい・階級があるというという指摘をしたうえで「それは何故か?」と問いかけているんです。
何故人には貧富貴賎の差があるのか。福沢は
「その理由は明らかだ」と言います。
みなさん、なんだと思いますか?
それは、、、
”学問をするかしないか”
です。
『 実語教』 に、「 人 学ば ざれ ば 智 なし、 智 なき 者 は 愚人 なり」 と あり。 され ば 賢人 と 愚人 との 別 は 学ぶ と 学ば ざる と により て できる もの なり。
(中略)
諺 に いわく、「 天 は 富貴 を 人 に 与え ず し て、 これ を その 人 の 働き に 与 うる もの なり」 と。 され ば 前 にも 言える とおり、 人 は 生まれながら に し て 貴賤・貧富 の 別 なし。 ただ 学問 を 勤め て 物事 を よく 知る 者 は 貴人 となり 富 人 となり、 無学 なる 者 は 貧 人となり 下人 と なる なり。福沢 諭吉. 学問のすすめ (Kindle の位置No.40-50). . Kindle 版.
だから”学問のすゝめ”なんです。
幕府から明治政府に代わり、士農工商の身分差は無くなった。
とはいえ物の道理がわからなければ結局貧しくなるし、人から軽んじられてしまう。
自由や平等は学問という各人の努力無しでは実現し得ないというわけです。
学問によって一身独立するというのが、この本の目指すところです。
■自由と平等
自由と平等は明治時代に外国から入ってきた概念です。
現在の私たちは当たり前のように受け入れている価値観ですが、
明治の人たちにとっては馴染みがなく、うまく飲み込めていなかったと思います。
(私は今でも飲み込めていません。。。)
福沢は自由と平等という西洋の概念を紹介しているわけですが、彼の解釈は今の社会に流布しているものとは一味違う深みがあると思います。
上記で紹介したように、平等は各人の努力が必要と述べています。
最近はこういうことは言われなくなっている気がします。
自由については福沢はまずこう述べています
人 の 天然 生まれつき は、 繫 が れ ず 縛ら れ ず、 一人前 の 男 は 男、 一人前 の 女 は 女 にて、 自由自在 なる 者 なれ ども、 ただ 自由自在 と のみ 唱え て 分限 を 知ら ざれ ば わがまま 放蕩 に 陥る こと 多し。 すなわち その 分限 とは、 天 の 道理 に 基づき 人 の 情 に従い、 他人 の 妨げ を なさ ず し て わが 一身 の 自由 を 達する こと なり。 自由 と わがまま との 界 は、 他人 の 妨げ を なす と なさ ざる との 間 に あり。
福沢 諭吉. 学問のすすめ (Kindle の位置No.69-73). . Kindle 版.
自由とわがままは違うと述べ、そのちがいは他人の妨げをしないことだと言っています。
これを現代風に解釈すると
あなたは好きにしていいから自分の邪魔はしないで
となりそうですが、福沢の”自由”は、そんな小学生や経済学者が主張するようなナイーブなものではありませんでした。
譬えば 自分 の 金銀 を 費やし て なす こと なれ ば、 たとい 酒色 に 耽り 放蕩 を 尽くす も 自由自在 なる べき に 似 たれ ども、 けっして 然 ら ず、 一人 の 放蕩 は 諸人 の 手本 となり、 ついに 世間 の 風俗 を 乱 り て 人 の 教え に 妨げ を なす が ゆえに、 その 費やす ところ の 金銀 は その 人 の もの たり とも、 その 罪 許す べから ず。
福沢 諭吉. 学問のすすめ (Kindle の位置No.73-76). . Kindle 版.
福沢に言わせれば、自分の金を浪費することは悪い手本になるので「その罪許すべからず」となります。
福沢は「学問のすゝめ」で西洋の様々な思想・概念を紹介していますが、この本を通じて強く感じられるのが
”個人主義への警戒”
です。
この本の重要なキーワードに”一身独立”というのがあるので、個人主義も”すゝめ”られているように見えますが福沢のいう一身独立は「他にすがる心」ない一人前の人として人と関わっていくと言うことでした。
福沢が自由・平等などの西洋の思想に警戒心を持っていたことは彼の文章から汲み取ることができますが、福沢は個人主義に対し、特に警戒心を持っていたように感じられます。
なぜ福沢が個人主義を警戒するのかというと、
そもそも学問によって一身独立するのは一国の独立を保つためだからです。
「学問のすゝめ」の根底にある危機感は”どうしたら一国の独立を保てるか”です。
さらに言えば明治維新は国を一つにまとめて西洋列強に対抗するのが目的です。
この危機感は福沢だけではなく明治の知識人・権力者に共有されていたものでした。
独立を保つために国を一つにしたのに、個人主義が蔓延してはみんなばらばらになってしまいます。
福沢は「学問のすゝめ」や彼の設立した慶応義塾で西洋の思想を紹介すると同時に、西洋の思想と戦っていたのです。
■今こそ「学問のすゝめ」をすすめる
昔の人は大変だったんだなぁ、、、
なんて思うかもしれませんが、今だって相当大変な時代です。
中国はここ20年ほどで目覚ましい成長を遂げ、アジアでの日米同盟の秩序に挑戦してきています。
アメリカはソ連なき後、日本を守る強い動機はありません。
(そもそも他にすがる心なきことが独立なんですが、、、)
さらにアメリカのトランプ大統領は日本に対し様々な要求を突き付けてくるでしょう。
戦後から冷静終結までの、奇跡のような平和の時代は終わりました。
これからは国民一人一人が一身独立し、一国独立について真剣に考えることをせまられる世界になっていくのではないでしょうか。
そんなこと言われてもどうすればいいのかわからないですよね。
まずは「学問のすゝめ」を読みましょう。
この本は今の時代にこそ必要な本だと思います。
それでは今日はこのへんで
福沢諭吉 学問のすすめ
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Kindleで無料で読めます。